遺族の想いに勇気づけられる

乳ガンが発覚してからとてもたくさんの励ましをいただいた。

励ましの言葉に励まされたというよりあたたかさを感じることが多かった。

心配してくれる気持ちが嬉しかった。

でも印象に残ってるのは励ましの部分ではなく本音の部分だったりする。

元気になった人の話も勇気づけられるんだけど、親をガンでなくした友人がけっこうまわりにいてて亡くなった話に私は勇気づけられた。

病気になってから友人と病気の話をする機会が増えた。前より深い話ができるようになった。

友人たちがみんな言うのが

「あのときせいいっぱい家族で戦った。でもあそこまでの治療をほんとにしてよかったのかな。あんなに苦しませてよかったのかな?途中までは日常生活をそれなりに送れてたのに、つらい治療ですっかり参ってからは寝たきりになってしまった。」

ガンを叩ききるという治療で本人すら叩ききられた印象が残ってるらしくて。

もちろん本人も家族も悩んで悩んで出した答え。
選んだ治療。

その家族にはそれが正解。

でももっとらくにいかせてあげたかったという気持ちが今も残ってるらしい。

生きて欲しいけど苦しんで欲しくない。それが家族の本音。

私は抗がん剤のつらさから逃げ出したから、エビデンスでいう再発なんかのパーセンテージはめちゃくちゃ高かったりする。

でもね、やりきった姿を見続けてきたご遺族から「あれでよかったのかわからない」という気持ちを聞かせてもらうとね、不思議と「本当の正解はないから私はこれでよかった」と思えたんです。

言いたいのは

「ガン治療に本当の正解はない」ってこと。

いつかは治る薬ができるかもしれないけど今の時点ではね。

自分が信じた治療が正解。

だけどどの道を選んでもずっと不安はつきまとうし後悔しないとは言い切れない。

私と同じように途中で抗がん剤を拒否した人、きっといると思う。

あの時ほんとに耐えられなくてやめてしまったけど、当たり前にこなしてる人の話がつらく感じることがあった。

私はダメだなぁって。

そんなこと思わなくてもいいのに。

最近やっと今はこれでよかったって思えるようになった。

髪が抜けない抗がん剤でずっと治療してる人もいた。

ピンポイント放射線のみで治療を終えた人とも出会った。

出会ってないけど標準治療ではない治療で元気になった人もいるかもしれない。

今の時点では私は無治療で不安がないわけではない。

でもガンを忘れる時間が増えてきた。

こうやってガンを忘れることも治療なのかもしれない。

私の父は難病で治療法がなくただ弱っていくのをみることしかできなくてほんとにつらかったけど、つらい治療を選ばないといけなくて選らんでよかったのかと問わないといけないのもすごくつらい。

病気のつらさは人それぞれ。

同じガンでも部位が違えば全く違う。

同じ乳ガンでも人によって全然違う。

つらさを比べても仕方がない。

ただ同じ言葉でもほんとにつらい経験をしたり支えた人の言葉が一番心に響くのはやっぱりほんとのつらさをわかってくれると思うからなのかな?

つらくてもこの治療を乗り越えたら完治しますという薬が早くできて欲しい。

できればつらくなくてあっけなく完治させて欲しい。

それが本音。


励みになります。ぽちっとお願いします♪
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ