オンコロジーセンターに行くまでの経緯2

ちょうど抗がん剤を頑張ってる最中にママ友達から「自然免疫療法」の病院を紹介してもらいました。

ただこちらは食事療法などをするので、ずぼらな万年ダイエッターな私にはきっと無理だと最初は旦那さんにストップをかけられました。

でも日に日に弱っていく私をみて、行ってみようということになりました。

こちらは片道2時間ちょっと。
運転手をしてくれた旦那さんや弟に感謝です。

ここの先生に「限界を超えた抗がん剤は自分の免疫もダメにしてしまうから、限界を超えての投与は良くない」といわれ、ますますFECの投与が怖くなりました。

体が回復してちゃんと戦えるまでは無理。
だけどその間にガンが進んだら・・・

そう思うとほんとうに怖かった。

だから私は食事療法はもちろん先生に言われたこと全て頑張って続けました。



食事療法であわよくば痩せるかもと期待しましたが、ちっとも痩せませんでした。

でも思ったよりつらくないし、むしろどんどん元気になる自分が楽しかった。

6月末に主人と主治医のところに今後の相談に行きました。
私は全くといっていいほど、その時の主治医の話を理解できてなかったことが後でわかったのですが、その時の私は冷静な判断ができない状態だったみたいです。
あまりに低いパーセンテージなどを受け入れる力が残ってなかった気がします。

ただひとつ言えるのが、骨や肝臓の転移ははっきりわからないにしても、鎖骨や首にはしっかり転移がある。
それなのに、手術では鎖骨周辺のリンパは取らないというのが理解できなかった。

ここにあるのがわかってて、取らないで胸だけとってどうなるんだろう?意味があると思えない。

いろんな思いと葛藤が続きました。

主治医との話し合いの結果、私はハーセプチンだけでも打ちましょうかと言ってくださってた言葉を全く聞いておらず、「抗がん剤を打たないならハーセプチンは打てない」と何故か勝手に解釈してハーセプチンも打たず再び帰宅してしまいました。

前向きに頑張れと励まし続けてくれていた主人も、あの時の私はもう気持ちで負けてしまってるから、この状態で抗がん剤ハーセプチン、手術をしてもダメだろうと思っていたようです。
どんな治療もそうですが、信じて頑張らないといい結果には繋がりませんから。

早め早めの治療が大切なのは理解しているけど、あの時の私には考えたり気持ちを落ち着ける時間が必要だったんだと思います。


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