オンコロジーセンターにいくまでの経緯3

抗がん剤、手術を拒否した私。

元々転移がある状態での発見だったので、ハーセプチンが効くとはいえ5年生存率は高くはありませんでした。

このまま無治療なら5年生存率は3%。

FECを打つ体力がなく、打てない状態では手術や放射線ハーセプチンを打ってもエビデンスより低いパーセンテージになってしまう。もちろん3%なんてことはないにしてもものすごく頑張ってそんなパーセンテージなんだと思うような数字でした。

現実を受け止めれなかったので、数字は覚えていません。

改めて目の前が真っ暗になりました。

ただひとつだけ諦めきれない治療が私の中にずっとありました。

抗がん剤治療中にみつけたオンコロジーセンターで治療した方のブログ。

保健が効かないからかなり高額だし、最初の頃パパに話したときは脚下されました。

だってね、小さな子どもがいる母親が数週間単身で鹿児島に大枚はたいて飛ぶなんて、ある意味夢物語だから。

抗がん剤の副作用で精神的にやられていた頃に母に

「こんなにつらい治療をしても、胸やリンパをとっても他の人に比べてとらないよりとったほうがいいくらいの結果しか出ないなんて。
全摘出しても放射線をしないといけない。
でもオンコロジーセンターのピンポイントなら胸やリンパをとらなくてすむから体の負担も軽い。
しかも転移した肝臓や鎖骨、骨も治療ができる。
行けるなら行きたい」

そう話していました。

母は

「お金はなんとか用意するから。子どもたちのこともみる。
だからあなたが納得できて前向きになれて、一番いいと思う道を見つけなさい」

そう言って背中を押してくれました。

K大からの帰りの車の中でパパに改めて

「鹿児島で治療を受けてみたい。お母さんがお金や子どものことなんとかすると言ってくれてるからここは甘えてみたい」

そう伝えました。

そしてパパから「行ってこい」といってもらえ、私は帰宅後すぐにオンコロジーセンターへセカンドオピニオンのメールをしました。


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