家族葬

こんにちは


昨日は父の葬儀でした。

父を看取ってからお通夜までの間、私は体調を崩し帰宅して休んでいたので葬儀の準備は喪主である弟に全部まかせました。

でも最後まで悩み続けた「家族葬」をするかどうかの決断だけは私がさせてもらいました。そして、そうすることで親戚に頭をさげなきゃいけない役回りをできなかったのがとても申し訳なかったです。すべてを引き受けてくれた弟に心から感謝しました。


家族葬」をするということは父が生前お世話になった親戚の方たちのお気持ちをお断りしなければなりません。

3年弱闘病していた父は2年3ヶ月入院していました。その間会いたい方はすべて会いに来てくれました。

「もう治らない病気」だった父とは普通はあまりしないだろう「死後どうしたいか」なども何度か話しました。

困らないように伝えて欲しい人のリストも作ってくれました。


そして、「家族だけで見送って欲しい」という希望も聞いていました。

父を1番世話していたのが私だったこともあり(母は現実を直視できなかったので)、最終決断は私がするように周りから言われていました。

父が亡くなる前まではそうは言っても親戚を呼んで「普通にお葬式を出そう」って思っていたのですが、父が亡くなって顔をみたらどうしても「家族葬」で送ってあげようと思えてきたのです。

お通夜のみ来ていただいて、お葬式はほんとに身内だけでさせてもらいましたが、ほんとにゆったり父をしのぶことができました。

私はただただ泣いてるだけでしたが、ほんとにいいお葬式ができたと思いました。

ですが、「家族葬」をおすすめしているとかではありません。やはり故人を見送りたいと思ってくださる方にご遠慮願わないといけないわけですから、いいとはいえません。

「故人の希望に沿い、家族がよかったと思えるのが1番いい形なのではないか」そう思います。

実は父が亡くなる2日前に父が夢に出てきたのです。

父はその頃は手足がまったく動かず、食事も食べれない完全な寝たきり状態でしたが、その夢の父は私の家のソファに座って足をくんでたぶんコーヒーを飲んでいました。

ちょうどその日父は私の病気のこともあり、眠れない日々を送っていたらしく、精神安定剤などを飲んでいたそうです。だからもしかしたら私の様子をみにきてくれたのかもしれません。

父はほんとに最期まで「父親」でした。あんなにつらい闘病中も私には弱音をはかなかったし、苦しむ姿も見せなかった。

ただ、最後に私と子どもたちが到着してすぐそれまでほとんど意識がなかったのに、いきなり目を見開いてくれたんです。

そして私が手を握ったらほとんど機能しないはずの左手のかすかに動く薬指と小指で力いっぱい握り返してくれました。

最後の最後までできることを精一杯してくれた父にほんとうに感謝です。


約3年間私は毎週かかさず奈良に通い続けました。

父がいなくなった世界が怖くて、父がいなくなった後のために必死で趣味や仕事をしていた時期もありました。


でも今は「とにかく生きる」そんなシンプルなことが1番大切だと思えるから、気持ちで負けず父のように精一杯生きたいと思います。


父との闘病生活はおわりましたが、自分の闘病生活は始まったばかりです。

治る可能性がある病気に負けてなんていられません!!!

いっぱい笑っていっぱい食べて前進していくので応援お願いします。

父の旅立ちにたくさんコメントいただきありがとうございました。とてもうれしかったです




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